お話を運んだ馬
 6月に「やぎと少年」という作品を取り上げましたが、その後、同じI・B・シンガーの「お話を運んだ馬」が復刊されました。あらためて読んでみてこの作品もぜひお薦めしたくて、今回取り上げました。

●本屋の現実と理想の間で●
「お話を運んだ馬」の冒頭の、「お話の名手ナフタリと愛馬スウスの物語」は、私たち子どもの本屋にとって、大変厳しくもあり、励ましにもなるお話です。<待ち焦がれている子どもたちに、ワクワクするようなお話の本を届ける。たとえ、そこに2・3人の子どもしかいなくても>という主人公ナフタリの気持ちは、そのまま作者シンガーの気持ちなのでしょう。日頃、本屋として生活に追われている身としては、本屋になりたいという主人公ナフタリに向かって、「本屋なんかかせぎにならんぞ、自分が食べて家族にも食べさせるほどにはな」という、おとうさんの言葉にも深く頷いてしまいます。

●木々目に見えない力を信じる●
 けれども、お話の楽しさとそのお話を書くこと、語ることを無上の喜びとしていたシンガーにとって、愛馬スウスの荷車に物語を積んで旅をしたいという思いは、その思いだけで優れたお話になるほどのものだったことを知るとき、やはり主人公のナフタリに軍配を上げざるを得ません。

 この中には、「やぎと少年」同様、底抜けに楽しい「ヘルムのとんちきまぬけな鯉」や「レメルとツィバ」など、シンガーならではの作品の他に、シンガーの自伝的な「おとなになっていくこと」というお話があります。

 そのお話からは、ポーランドからアメリカに逃れたユダヤ人の一人であるシンガーが、子どもの頃からお話を書くことに憧れていたようすが垣間見えます。生い立ちの証である、絶滅しかけた母国語のイディシ語で書いたこれらの作品がその後、英語から日本語にも翻訳されました。

 国も時代も違う世界に生きている私たちが、これほどに感銘をうけ、励まされていることを、今は亡きシンガーは予想だにしなかったことでしょう。けれども、シンガー自身が、作品の中で何度も言っているように、目に見えるものだけを信じるのではなく、見えない力も信じることができるようになったとき、はじめて、生きることの意味が見えてくるのかもしれません。

 「これらの物語を、わたくしは、わが父母きょうだいの追憶にささげます。さらに、おとな
になっていくことの不思議について、また生きることと愛することのなぞに立ち会う不思
議について、思いをめぐらせる読者、幼老を問わぬすべての人にささげるものです。」
これは「お話を運んだ馬」の短い「まえがき」です。
(執筆 小宮楠緒 2000年8月)