俵山の「ちいさいおうち」
 わが家の子どもたちは、小さいころ、バージニア・リー・バートンの絵本をずいぶん楽しんだようです。「ようです」としか言えないのは、当の読んでやった私の方が、残念ながら印象に残っていないからです。

 一番好きだったのが、「マイク・マリガンとスチーム・ショベル」。その次が「はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー」と「ちいさいおうち」。「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」はそれほどでもなかったといいます。もしかしたら、親が気を入れて読まなかったからかも知れません。「せいめいのれきし」は、長すぎて読んでやらなかったのかな。「ちいさいケーブルカーのメーベル」は当時、みあたりませんでした。

それにしても、「ちいさいおうち」や「けいてぃー」は、何度も読んでやった事をおぼえているのだけれど、「マイク・マリガン」がそんなに好きだとは知りませんでした。
 
 子どもの本屋を始めて、色々と勉強する機会があって、今更ながらバートンのすばらしさを知ることになるのですが、熊本市内から、ここ西原村に店と住いを移した時、まさに「ちいさいおうち」の心境でした。

 それまでのジメジメしたビルの谷間から、一日中、さんさんと日の当たる、阿蘇のふもとの大地に引越してきて、時間や季節の移り変わりを一目で知ることができるなんて、なんて素敵なんだろうと嬉しんだのですが、台風なみの季節風や、少々洗ってやっても取れないような堆肥の香りをつけて帰ってくる飼い猫など、思わぬ落とし穴もありました。草との戦いもその一つで、夏などはちょっと油断すると、周りから雑草が襲ってくる感じです。

 それでも今ではもう滅多にないであろう、自然の湧水を頂戴して暮せるこの身をありがたいと言わずして、何をありがたいと言うのでしょう。

 市内の繁華街などには、一年に一度行くか行かないかと言う、完璧な田舎者になりました。生まれも育ちも江戸っ子の主人は、久しぶりに上京して、東京駅で2階に上がってしまった中央線を探して右往左往するし、先日は主人と2人、交通センターでバス乗り場を探すのに、地下街で20分ほどウロウロしてしまいました。

俵山への帰り道、「もう街はいらないね」と負け惜しみを言ったりしたものです。

せいめいのれきし 
 優れた絵本は、読む人の心を豊かにしたり、力づけたりしてくれるものだということを実感したのが、この「せいめいのれきし」です。

 小学校の先生から伺ったお話です。
すっかり落ち込んで、図書室の片隅に座り込んでこの絵本を読んだら、「なんだ、そんなにくよくよするほどの事ではないのではないか」と思ったというのです。人間の歴史は、長い長い生命の歴史からするとほんのわずか、その中の本の一時期の出来事に、わずらわされるなんてバカバカしい、というわけです。

それにしても、何十年も前に書かれたこれらの絵本が、今でもいきいきとして私達を力づけてくれるのは、やはり作者の思いの深さのなせる業でしょう。
(執筆 小宮楠緒 1999年11月)